「会社も知っていた」 パートが証言

「パートの独断だった」 船場吉兆

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さて、どちらかが嘘をついているわけですが、
こんなの、誰が見ても、嘘をついているのが誰か分かりきった事だと思うのですが、、、、。
自分(船場吉兆)を守るために嘘をついているのでしょうが、
自分を守ろうとして嘘を重ねることが、一番大切な信用というものを傷つけ、
まったく逆の結果になりそうです。なんと愚かな事でしょう。

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19 :名無しさん@八周年:2007/11/12(月) 12:12:47 id:ewW+nFbD0
何で1円の利益にもなら無いのにパートが自ら偽装するんだよw
言い訳にしてももうちょっと考えろよ


30 :名無しさん@八周年:2007/11/12(月) 12:15:46 ID:hz/MB/XJ0
パートの不正を知らなかったと言い張るなら
仕事の指導や管理も出来ないボンクラ

知ってたら組織ぐるみ…

結局どう逃げても、船場吉兆は終わってますよ?
ほかの吉兆まで疑われてますよ?
もう店たたんだら?

45 :名無しさん@八周年:2007/11/12(月) 12:20:10 id:js85kbY1O
>>38
初めから
「私が知ってて黙認した。
社長の私が全て悪い。
人の道を踏み外した。
吉兆は私抜きで再生させてやりたい」


といえばいいのになww
馬鹿な会社が多いよなw



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「会社も知っていた」 パートが証言

2007年11月12日11時15分

 船場吉兆大阪市中央区)による偽装問題で、菓子や総菜の消費・賞味期限のラベルを張り替えていた福岡市の店舗の現場責任者のパート従業員が、農林水産省の調査に対し、「改ざんは九州の取締役も知っていた」と証言していたことがわかった。船場吉兆側はこれまで「パートの独断だった」と本社の関与を否定していた。「地鶏」と偽装した商品や原材料表示の違反があった菓子類でも取引先から船場吉兆の説明への反論が相次いでおり、同省は引き続き事実関係を調べている。

 福岡市の百貨店「岩田屋」地下の店舗にはパートリーダーの女性1人とアルバイト5人が勤務。勤続3年半のパートの女性は同省の聞き取りに対し、直属の上司だった九州統括担当の湯木尚治取締役の前で期限を記したラベルを張り替えたこともあるとして、「取締役も知っていた」と証言。「ラベルの張り替えは前任者からの引き継ぎだった」「その日の売り上げや商品別の在庫状況を毎日、大阪本社へファクスで報告していた」などとも話しているとされる。

 一方、湯木取締役は11日の朝日新聞社の取材に対し、期限の改ざんについて「全く知らなかったし、指示もしていない」と改めて否定。ただ、パートの女性から「このプリン、期限切れ間近です」と相談された記憶はあるとし、「『間近』とは翌日もまだ期限内だと思い、『売ってしまいなさい』と言ったのだと思う」と釈明した。

 ブロイラーを「地鶏」と偽っていた贈答用の商品でも、船場吉兆が「仕入れ先には『地鶏』と発注していた」と説明したのに対し、納品した京都市の業者は「地鶏を注文されたことは一度もない」と否定。食品添加物や色素など表示すべき原材料名の欠落や重量順の記載違反が指摘された菓子でも、船場吉兆が「製造の委託先から聞かされていなかった」と説明したのに対し、製造業者は「原材料とその重量を書いたレシピ表を渡していた」と反論している。

 同省のこれまでの調べでも、船場吉兆側はパートの女性の証言を否定。両者の説明が真っ向から食い違うことに加え、贈答用商品や菓子商品でも、取引先や帳簿類から同省が確認した内容と船場吉兆の説明とに矛盾が多いことから、同省は調査で判明した疑問点を整理して、改めて、船場吉兆に対し、説明を求めている。

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今回は泣く子も黙る日本料理の雄、吉兆グループの船場吉兆の心斎橋店・博多店店長の湯木尚治氏から、
吉兆と日本料理についての昔と今を語っていただきました。

http://shokubi.hp.infoseek.co.jp/reikai_report/02/0208kitcho.htm
*「吉兆」の吉はのとおり‘土’かんむりですがフォントの都合で「吉」としております。




「吉兆」今昔物語
講師 船場吉兆 心斎橋店・博多店店長
湯木 尚治氏

吉兆のホームページ http://www.kitcho.com/
博多吉兆のホームページ http://www.hakata-kitcho.com/

[例会・レポート一覧]

食ビ研例会レポート 「吉兆」今昔物語

吉兆創業〜屋号は吉兆、名物は鯛茶漬け
 日本料理・吉兆は昭和5年に創業者の湯木貞一氏が新町(現在の大阪市西区)に店を起こしたのが始まり。その時貞一氏は29歳。
吉兆の屋号は字のごとく「吉」良いことの「兆」きざし。商売繁盛を祈り今宮戎の吉兆笹から取ったもの。間口一間(6尺=1.82メートル)、奥行6メートルの小さな店は名物料理の鯛茶漬で横堀の材木問屋の大将衆からひいきにされ、一年もたたないうちに当時の花街であった新町のモダンな人気店となった。
 その後、畳屋町に拠を移し本格的な日本料理屋となったが、昭和20年の大阪大空襲で店も全焼。戦後、店を再建したのが、現在の吉兆本店となる高麗橋である。
「縁あって料理に出会った。料理を通して自分は生きる」
日本料理の神様 湯木貞一
 湯木(尚治)さんのおじいさんにあたる湯木貞一氏もまた、神戸・花隈の中現長(なかげんちょう)という料理屋の息子である。幼少から勉強好きであった貞一氏は16歳で料理修行をはじめたが決して外の世界に興味がないわけではなかった。
 ある夕方、店の大根を買いに出た街で貞一氏は昔の学友にばったり出くわす。思わず使いの身が恥ずかしくなり物陰から友の姿を見送った、という辛い思い出もあるという。
 しかし、その後さまざまな人との出会いによって「縁あって料理に出会った。料理を通して自分は生きる」との決意が貞一氏の中で確固としたものになってゆく。
 さらに25歳の時、北大路魯山人島津藩松平氏の二人の巨人との邂逅を経て、神戸から食の都大阪へ独立してゆくのである。

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 北浜高麗橋吉兆も多くの食通に支持を得、その縁で京都・嵐山の地に店を開き昭和35年には東京・木挽町に出店する。
その翌年、貞一氏に妻の死という最大の不幸が訪れる。常に共にあった最愛の妻との別れ。
その辛さを日本料理を心の支えにして乗り越え、一男四女の二代目に「吉兆風」の精神を引き継ぎ、現在24店舗すべてを身内でまかなう吉兆グループに発展させるのである。

工夫して心くだくる思いには、花鳥風月みな料理なり。
 表千家に師事し茶道にも造詣が深いだけでなく、料理界にとどまらない貞一氏の見聞と親交は昭和45年から20年間に渡る「暮らしの手帖」の連載に日本家庭料理への愛情とともに記されている。
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意思、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう・・・

 サミュエル・ウルマンの「青春」の詩を愛し、日本料理を愛した貞一氏は、亡くなる間際に口をついて出る言葉も料理のことであったという。


三代目 湯木尚治 吉兆、祖父への思い 
 「生まれた時から家は料理屋」−−
湯木尚治さんは、芸者が出入りするのが当たり前の環境で育った。
遠足の弁当は塗りの膳に入った松花堂弁当。誕生会はお友達を呼んで吉兆本店で流しソーメン。
「派手だからやめてくれ」とPTAで苦情がでて以後誕生会は中止になったこともあったとか。
 またある日、家政婦が子供の食事にインスタントの味噌汁を出そうとした。すると祖父の貞一氏が「子供にインスタントの味付けを食べさせるのはやめてくれ」と怒ったこともあったという。

 「日本料理の神様」の祖父・貞一氏も子供の湯木さんにはおじいさん。
その祖父の料理への心を垣間見たのは湯木さんが学生の時、両親に言われて祖父の床でマッサージをしに行ったときのことだ。
 いつもは午後10時には横になっている祖父がその晩は背広のまま書き物をしている。翌日の献立を考えているようだ。湯木さんは思わず「明日にしはったらどうですか」と声をかけた。

「お前はそれでも料理屋の息子か」

厳しい祖父の一喝が返ってきた。

「日本料理の神髄は味だけやない、心や。今ごろお客様は明日どんな料理が食べられるか楽しみにしてるんや。どれだけのお客様への思いを料理に込められるかが大事なんや」と。

 この時、吉兆の「おもてなしの心」を学んだと湯木さんは語っている。
 吉兆での最初の仕事は玄関番。客を出迎え、送る仕事で母のお辞儀の美しさを、洗い場では器の大切さを覚え、料理場では日本料理の精神を学んだ湯木さんは基本はすべて「吉兆風」のおもてなしの心にあるという。
 祖父貞一氏が精通した茶の心にも通ずるおもてなしは一期一会の精神。お客様を迎える心がまえは常に真剣勝負。
それを湯木さんは四つの柱と表現する。

ひとつは「料理」。
日本料理の方程式である五味・五法・五色を駆使し季節・旬ごとの海・山からのメッセージである食材を心込めた料理に昇華させること。
「献立」
お客様の思い、人数や構成、食事の主旨など献立にもハレの舞台へのメッセージを込める。魚をとっても、刺身を出すだけでなく軽くボイルしたり湯通ししたり、酒盗にしたりとお客様の立場になってバリエーションを作ることができる。
「器」
北大路魯山人いわく「器は料理の恋人」。色との相性、寸法とバランス、盛り付け方を考える。
そして「座ごしらえ」
 料理を楽しむ空間。接客する人。掛け軸や生花、スタッフの衣装や立ち居振る舞いまでもが大事なおもてなしに通じると考える。

船場吉兆・心斎橋店では総勢40人の訓練されたスタッフを擁しそれぞれが創意工夫と粋なはからいに精進する。
湯木店長は、「サービス料は魂料(たましいりょう)。お客様のへの最善のもてなしに心砕くことがサービスだ」と徹底する。

湯木店長の全力投球

2000年7月 沖縄サミット
 サミットの蔵相会議は福岡で行われた。当時の宮澤蔵相の晩餐会の料理を担当した博多吉兆は8カ国の国賓を迎えた。
半年前から準備を始めた献立は、フォアグラの煮こごりをほおづきの器に持った前菜に始まり、ハマグリの煮物椀、タイやトロの手毬寿司、クルマエビのお座敷てんぷら、ゴマクリーム、魚介の石焼、すき焼きなどの11品。
七夕飾りで季節を表現したテーブルで食したゲストからは
「これはアートだ」
との賛辞が寄せられ、「大変だったが素晴らしい体験だった」と湯木さんは振り返る。

タイのボランティア
 湯木さんは料理を通じた縁で東南アジアのタイ、特に貧困にあえぐ山村の地域の子供たちの算数教育に役立つよう算盤を送るボランティアがあることを知り、「タイに広めてご名算」と称して使い古しの算盤を集めて送っている。
 そこで、集めてただ送るだけよりはやはり届けよう、ということになりタイの奥深い山村へ出向いた湯木さん。
子供たちは算盤をもらい大喜び。吉兆の店長にお礼に食事をご馳走すると言い出した。
湯木さんはこの時の村で取れた野菜のシンプルなスープが人生最高のご馳走のひとつだという。
料理のおいしさはどれだけ相手のことを考えて心を込めて作るか、を実感した体験だと語った。
 湯木さんの座右の銘は気力・知力・努力・体力・協力・魅力の六つの力。
 また成功は素質と努力、忍耐、人脈、運を不屈の精神と寛容な心で支えてこそ得られるという。
 「商売は相手あっての仕事。お風呂のお湯と同じです。熱い湯を自分に持ってこようとするよりも、人に押しやるとそのうち対流して自分に戻ってきます。料理屋は職業奉仕の精神で食を通じて至福事業をしていると考えます。」


これからの船場吉兆の展開

<食文化の創造>
 ワインと日本料理の出会いを演出 ワインを勉強し日本料理との組み合わせを創造することで多くの人たちに新しい日本料理の楽しみ方を知ってもらうためこんだ手作りとともに挑戦。

<キレイ懐石の挑戦> 
 若い女性の一番の興味はキレイになること。そこでス・コ・ヤ・カをキーワードにした懐石を展開。「ス」酢と「コ」ゴマ、「ヤ」野菜(=大豆)、「カ」海草を使い体と心をキレイにするメニューを楽しんでもらう。また懐石に美容の講座を組み合わせた「キレイ夜会」と名づけた食事会も実施している。

スローフード
地域特産の食材と料理法を吉兆のアレンジによって紹介する。九州味紀行を大阪で開催。

<ブライダル>
初めての経験であるお客様が圧倒的に多い中で吉兆のできるいいものにするためのアドバイスを展開。

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 全国に24店舗を展開する吉兆は、いわゆる暖簾分けではなく、全てが身内・親族の経営。つまり創業の心を知るものだけが吉兆のすのである。調理師の料理を出中途採用はせず20年以上の経験を持つ調理師が指揮を執る。
 新たな展開にトライする吉兆だが、創造の連続がすなわち伝統を守るのであり、それは創業者湯木貞一氏の精神につながるものである。